最終列車に乗り込んですぐに眠ってた。目を開ける度に隣に座っている人間が変わっていて、私だけ終点までずっと同じ場所にいた。途中、隣に座っていた同年代くらいの男性が好きなひとに似ていたので悲しくなった。駅の改札を出てすぐに煙草に火をつけようとしたけど父親から貰ったZippoが死んでいたので諦めた。最近煙草を恋人と吸ってたmarlboroからPeaceに変えたけど、まだしっくりこない。どうやら甘い匂いが合わないらしい。毎度適当にコンビニの煙草陳列棚から銘柄を選んでいたけど(目に付いた番号)どれもこれもピンと来ない。慣れ親しんだものから離れるってこういう感じなんだろう。近頃は、転職やら引越しのことで頭の中の9割が将来の希望や不安で埋め尽くされているのだけれど、あとの1割が忙しない日常の中のほんの一瞬の隙をついて脳みその中で膨張し、すっかりメンタルが死ぬ。そして、昨晩は女子高生の女の子に泥酔した状態でデパス抗うつ剤)をたらふく酒で口移しされたトラウマを思い出して布団のなかで震えた。ちょうど一年前の記憶だから、そろそろ思い出す頃合だったといえばそうだった(?)私の人生の中で思い出したくないトラウマというのは沢山あって、その中でも去年だけで半分以上あった。死のうとしてAmazonで首吊り用のロープを注文し、眠剤を大量に摂取し、深夜にネカフェまで出向きパソコンから身内にDMで「山で死ぬけど、よろしく」、と連絡していた。その日の夜に明け方まで死ぬ場所を歩き回って探したけど、明るくなってくるにつれてやっぱりこわくなって辞めた。よく去年後半から持ち直したな、と関心する。今では死ぬことを考えるくらいなら、なりふり構わず誰かに会いに行くことにしている。知らない顔でも声でも、男でも女でも裸になると途端に同じ人間になった気持ちになるので安心してとにかく一緒に眠った。学歴の差も、収入の差も、性格の不一致も、価値観のズレも、生きてきた境遇も、顔の好みやタイプも全部泥になってなくなって全く同じになる気がした。その中でも人間味がある人のことは素直に好きになった。それもこれも傷つきたくない為にそうしてきた。言葉を選んだり顔色を伺うなんてわたしは出来なかったから、それなら早く相手に味方になって欲しいと思った。これだけのことをしていても、家に帰るとわたしの手には誰かの破片すらも残されていなくてそれに気づいた時とても悲しくなった。そういう時、ちょっと正常になって特定の誰かに甘えたくなったり、見返りを求めようとしたり、執着しそうになるけれど、そんなの誰も求めてないと分かると頭のおかしい女の真似をすることにした。何を言われても平気な、後腐れない何も考えてない人間になることにした。めちゃくちゃ楽だった。めちゃくちゃ楽だけど、めちゃくちゃ怖くなった。思えば恋人がいた時からそうだった、不安になるとすぐ真夜中でも出かけた。誰でもいいから会わないと気が済まなかった。大切とか大切じゃないとか、好きとか嫌いとかそういう次元じゃない。これは命に関わることだった。だからずっと苦しんできた。でも、残念なことにこの人生のエンドロールには彼や彼女らは、脇役AとかBとかでしか流れてこない。みんなの名前がわからない、わたしもわたしがなんて名乗ったかわからない。本当の名前や肩書きはたまに邪魔になるし、自分という者に左右されすぎている。そんなやり方で何度しにたくなっても乗り越えた、大好きだったアイドルの名前や憧れていた先輩の名前、憎くて仕方ない女の名前、でもどれを名乗ってもみんな似合ってるね、ってばかみたいだけど言ってくれた。すごく苦しくて悲しかった冬から一年が経ったけど、救ってもらったからまた来年もその先もがんばんなきゃ、だめだになった。他人はどうやって普通の顔して生きてる、生きてる実感どこで感じてる、器用にやれてるんだろうか